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千葉佐那とは何者だったのか?―― 坂本龍馬との関係、婚約説、その生涯

夕日の差し込む道場で、「心技体」の掛け軸を背に刀を構える千葉佐那のイラスト 日本の偉人
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今の僕たちが、誰かに裏切られたり、約束が思うように守られなかったりして、人間関係に絶望しそうになるとき。あるいは、「自分には何もない」と、孤独の中で震える夜。そんなとき、そっと心に寄り添ってくれる、一人の女性がいます。もし、160年以上も前の幕末という激動の時代に、愛する人との別れや、思い通りにならない運命を抱えながらも、それでもなお、静かに、自分らしく生き抜いた女性がいたとしたら――。あなたは、その人生を知ってみたいと思いませんか?その人の名は、

千葉佐那(ちばさな)

北辰一刀流の名門に生まれ、剣を学び、後に坂本龍馬と深く関わった女性です。龍馬の婚約者だったとも、生涯その面影を抱き続けたとも語られます。けれど、彼女の人生には、今なお分からないことも多く残されています。だからこそ、惹かれるのかもしれません。千葉佐那の物語は、単なる「悲恋のヒロイン」の物語ではありません。彼女が守ろうとしたのは、誰かとの約束だけではなく、どんな現実の中でも、自分自身に恥じない生き方だったように思えるのです。

これは、混迷の時代を生きる僕たちが、人を想うこと、失っても前を向くこと、そして静かに誠実に生きることを考えるための物語です。

第一章:剣に込めた誠――千葉佐那という「静かな強さ」の誕生

北辰一刀流の申し子――少女が選んだ道

物語は、江戸の街に竹刀の音が響く、北辰一刀流(ほくしんいっとうりゅう:江戸時代に栄えた剣術の流派の一つ)の名門・桶町千葉道場(おけまちちばどうじょう)から始まります。

佐那は、道場主である千葉定吉(ちば さだきち)の長女として生まれました。当時の女性といえば、裁縫や家事を学ぶのが一般的な時代。しかし、彼女が手にしたのは針ではなく、竹刀でした。男子に交じって剣術修行に励み、その腕前は高く評価されるようになります。美貌と剣の強さから、いつしか彼女は 「千葉の鬼小町」 と呼ばれるようになりました。

けれど、彼女にとって剣とは、ただ相手を打ち負かすためのものではなかったのかもしれません。剣を通して、自らを律し、心を整える――。千葉佐那の生き方には、そんな静かな強さが感じられます。後に、幕末という激動の時代を駆ける一人の若者と出会うことになる千葉佐那。その人生は、この江戸の道場から始まっていきます。

坂本龍馬との邂逅――交差する二つの人生

そんな彼女の前に、一人の風変わりな若者が現れます。土佐(現在の高知県)から剣術修行にやってきた、若き日の坂本龍馬です。

嘉永6年(1853年)、龍馬は北辰一刀流を学ぶため、桶町千葉道場へ入門します。そこで出会ったのが、千葉佐那でした。二人の関係については、後に多くの逸話が語られるようになります。婚約者だったという説。龍馬が特別な感情を抱いていたという話。けれど、佐那に関する史料は非常に少なく、どこまでが事実で、どこからが後世の伝承なのか、今なお分からない部分も少なくありません。

ただ、確かなものもあります。龍馬が姉・乙女(おとめ)に送った手紙には、佐那の印象が生き生きと記されているのです。龍馬は彼女について、琴を弾き、書を読み、剣術や長刀に優れ、馬にも巧みに乗り、力も並の男性に劣らない女性だったと伝えています。つまり佐那は、単なる剣の強い女性ではありませんでした。教養と武芸を兼ね備えた、当時としては極めて稀有(けう)な存在だったのです。

だからこそ――。龍馬が、そんな彼女に特別なものを感じていたとしても、不思議ではないのかもしれません。ただ、それが恋だったのか。尊敬だったのか。あるいは、激動の時代を前にした若者同士の共鳴だったのか。本当のことは、もう誰にも分かりません。けれど、この出会いが、二人の人生に静かな影響を与えたことだけは、確かなように思えるのです。

 

 

第二章:袖に預けた命――約束だったのか、願いだったのか

結婚の約束と「形見」の袖

やがて、龍馬が江戸を離れる時が訪れます。幕末の動乱が激しさを増す中、龍馬は土佐へ戻り、やがて日本を変えるため全国を奔走していくことになるのです。その頃、佐那と龍馬の間には、結婚の話があったとも伝えられています。千葉家も二人の関係を認めていたという説は根強く、後年、佐那は「龍馬の許婚(いいなずけ)」として語られるようになりました。

ただし――。ここには、少し慎重でありたい気持ちもあります。佐那に関する史料はあまりにも少なく、後年に語られた話も多いため、どこまでが事実で、どこからが伝承なのか。その境界線は、今も曖昧なのです。

そして、もう一つ。有名な逸話があります。龍馬が旅立つ際、自身の紋付の片袖、あるいは家紋の入った布を、佐那に預けたという話です。史実として断定はできません。けれど、もし本当だったなら――。それは、激動の時代を生きる若者が、再会への願いを託した、小さな約束だったのかもしれません。あるいは約束というよりも、互いの心に残った希望だったのかもしれません。資料に残らない、二人だけしか知らない秘事もあるはずです。本当のことは、もう誰にも分かりません。ただ、後の佐那の人生を見ると、この出会いが、彼女に深い影響を残したことだけは、確かなようにも思えてくるのです。

 

 

人は、思い通りにならない現実をどう生きるのか

やがて龍馬は、楢崎龍(お龍)と出会い、夫婦となります。千葉佐那が、その事実をいつ知ったのか――。それを示す確かな記録も残っていません。風の噂だったのか。誰かから聞いたのか。それとも、龍馬自身の言葉だったのか。本当のことは、もう誰にも分かりません。けれど、もし婚約説が事実だったなら。その知らせは、佐那の心に小さくない波紋を広げたでしょう。悲しみも、怒りも、裏切られたような気持ちも、あったかもしれません。それでも彼女は、龍馬との縁を会う人、会う人に語り続けています。龍馬から託されたとされる袖を大切に持っていたという逸話が残ったのも、それゆえでしょう。

ここで、僕は一つ思うのです。仮に、佐那が事実でもないのに「許嫁だった」と語っていたとして。それを、単なる嘘だと切り捨ててしまってよいのでしょうか。幕末から明治へ。女性が、自分の本音を自由に語れる時代ではありませんでした。本当に愛した人への思いを、簡単に言葉にできた時代でもありません。もしかしたら「許嫁」という言葉は、彼女なりの、どうしても失いたくなかった絆の表現だったのかもしれません。もちろん、これは僕の想像です。けれど、人の心は事実だけでは測れないことがあります。婚約が本当だったかどうか。それだけで、人の想いの深さまで決めつけることはできません。千葉佐那という女性を調べれば調べるほど、僕はそんなことを考えずにはいられないのです。

第三章:止まった時間――近江屋の悲劇、その後を生きるということ

慶応3年11月15日、龍馬暗殺

慶応3年11月15日(1867年)。京都・河原町の近江屋(おうみや)で、坂本龍馬は暗殺されます。享年33歳。

激動の時代を駆け抜けた龍馬の人生は、あまりにも突然に幕を閉じたのです。江戸にいた佐那が、その知らせをどのように受け止めたのか――。
僕が調べていくなかで、佐那はその知らせをきき、自殺を図ろうとしたが、父親に止められた、との逸話にも出会いました。が、その根拠となる、資料を探したものの見つからず。。。

ただ彼女が亡くなるまでにとった行動を追っていくと、その逸話もあながち嘘ではないように思えてくるのです。

 

 

残されたもの――それでも人は生きていく

幕末が終わり、時代は明治へと移り変わっていきました。かつて多くの剣士が集った千葉道場も、時代の波の中で少しずつ姿を変えていきます。千葉佐那は、父より剣術のほかに灸の技術も受け継いでおり、東京・千住に移り灸冶院を営みながら暮らしたと伝えられています。

同じ頃、佐那は亡き妹の子を養子に迎え、「龍太」と名付けたといいます。龍馬の「龍」の字ですね。けっして偶然ではないでしょう。このことからも、彼女が龍馬のことをどれだけ慕っていたかが分かります。

史実の揺らぎ――「純愛」とは何だろう

長い間、千葉佐那は龍馬を想い、生涯独身を貫いた女性として語られてきました。しかし近年、そのイメージを揺るがす資料が見つかっています。2010年、明治期の新聞記事が発見され、佐那が元鳥取藩士・山口菊次郎と結婚していた可能性が報じられました。記事によれば、二人は数年で離別し、その後、佐那は再び独りで生きたとされています。

本当に坂本龍馬と千葉佐那は婚約していたのか、という説に関しても近年では、佐那自身がそう語っていたことが後世に伝わった可能性が指摘されています。つまり、事実だったのか。彼女自身の願いだったのか。その境界線は、今も曖昧なのです。ただ、婚約していた、と事実ではないことを口にしたからといって、彼女の坂本龍馬への気持ちが否定されるわけではないでしょう。彼女の心の中の動きは彼女にしかわかりません。

明治29年(1896年)。千葉佐那は、59年の生涯を静かに閉じたと伝えられています。彼女の墓石には、彼女の遺志を汲んだ人々によって、こう刻まれました。

「坂本龍馬室」

と。それだけ、佐那が龍馬への想いをいつまでも吐露し続けた証拠ではないでしょうか。亡き妹の子を養子に迎え龍太と名付けたこと。婚約をしていたと語り続けたこと。そのことの是非は別にして、千葉佐那が坂本龍馬を強く慕っていたという事実は、誰にも覆すことはできないと僕は思うのです。

 

 

第四章:【結び】人を想い続けるということ

千葉佐那の人生には、分からないことがたくさんあります。資料が少ないのですから当然といえば当然ですが。とはいえ、資料がたくさん残っていたとしても、僕らはその人物像を想像するしかありません。誰かの人物評も、それはその人自身の人物評であって真実でないですね。たとえその人物を目の前にしたとしても、その人物像は僕らが想像してるだけにすぎません。だからこそ、僕らは人間関係に悩むのでしょう。

許嫁だったという佐那の言葉。子供に龍太と名付けたこと。何より、その想いを、吐露し続けたということ。歴史がなんと言おうとも、新たな資料がどれだけ出てこようとも、千葉佐那が龍馬を想い続けた、そこに嘘はないと僕は思っています。

 

 

 

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