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人間関係に疲れたあなたへ。西郷隆盛が「地獄の牢獄」で見つけたもの

西郷隆盛と桜島 日本の悩み
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「もう、誰とも関わりたくない」

そんなふうに思ってしまう夜は、ありませんか?朝、目が覚めた瞬間から心が重い。スマートフォンの通知を見るだけで疲れてしまう。誰かの機嫌を伺い、顔色を読み、本音を飲み込んで笑顔を作る。そんな毎日の繰り返しに、心が擦り切れてしまったのかもしれません。

現代はつながりの時代と言われます。でも、そのつながりが、時に僕たちを苦しめることもあります。そんな時、僕がいつも思い出す一人の男がいます。

西郷隆盛

幕末から明治という、日本が最も激しく揺れ動いた時代を駆け抜けた人物です。彼は、信じた人に裏切られ、政争に敗れ、命を奪われかねない島流しに遭い、沖永良部島(おきのえらぶじま)では、まるで地獄のような牢に閉じ込められます。

誰にも理解されない孤独、人間への失望、生きる意味すら見失いそうな絶望、西郷もまた、僕たちと同じように、人に疲れた人だったのかもしれません。けれど、そんな彼が、後に多くの人を惹きつける大きな心を持つようになります。彼は、その苦しみの中で、一体何を見つけたのでしょうか。西郷隆盛が遺した言葉をまとめた『南洲翁遺訓(なんしゅうおういくん)』を手がかりに、今日は一緒に、その答えを探す旅に出てみましょう。もしかすると、今、あなたの心を重くしているものが、少しだけ軽くなるかもしれません。

 

第一章:絶望の檻で見つけた「たった一人の味方」

孤独という名の牢獄

西郷隆盛という名前を聞くと、上野公園の銅像のような、堂々とした姿を思い浮かべるかもしれません。でも、彼の人生は決して輝かしい成功ばかりではありませんでした。

彼は二度、島流しに遭っています。特に二度目の沖永良部島での生活は、壮絶なものでした。吹きさらしの牢屋。夏は焼け付くような暑さ、冬は凍えるような寒さ。食事も満足に与えられず、身体は衰弱し、一時は命も危ぶまれました。

かつての仲間たちは遠く離れ、自分を陥れた(おとしいれた:罠にかけて苦しい立場に追い込むこと)者たちが権力を握っている。

「なぜ、自分だけがこんな目に遭うのか」

「信じていた人々に、なぜ裏切られたのか」

今のあなたにも誰かに裏切られたり、理解されなかったりして、

「もう、人を信じたくない」

と思ってしまう夜があるなら西郷もまた、かつて深い孤独の中にいた人だったことを少しだけ思い出してみてください。驚くことに彼は、そんな絶望の中でこそ後の人生を支える、大切な何かを見つけていくのです。

 

 

人を相手にせず、天を相手にせよ

そんな地獄のような日々の中で、西郷さんはある答えに辿り着きます。それが、彼の座右の銘(ざゆうのめい:いつも自分の心の支えにする言葉)となった「敬天愛人(けいてんあいじん)」の真髄(しんずい:物事の本当の大切なところ)です。

『南洲翁遺訓』の第25箇条には、こう記されています。

 

「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己(おのれ)を尽くして(つくして:精一杯やって)人をとがめず、我が誠(まこと)の足らざる(たらざる:足りないこと)を尋ぬべし(たずぬべし:探しなさい)」

 

これは、僕たちの心に深く突き刺さる言葉です。
「あの人が分かってくれない」「あの人があんなことを言った」と、他人を相手にしているから、僕たちは疲れてしまう。そうではなく、天を相手に生きなさい、と彼は言うのです。もう少し宗教臭くない言い方をするなら、「人の評価や反応に振り回されるな。自分が誠実だったかを見つめなさい」といった意味でしょうか。

僕たちは、つい、

「あの人が分かってくれない」

「どうして、あんなことを言われたんだろう」

と、人を相手に生きてしまいます。だから疲れる。だから傷つく。でも西郷は、孤独の牢の中で、他人を変えようとする生き方を手放していったように見えるのです。もちろん、これは人を諦めろという話ではありません。そうではなく、まず、自分の誠実さを失わないこと、誰に評価されるか、理解されるか、報われるか、それよりも、自分は、自分に恥じない生き方ができたかを問う。

西郷にとっての天とは、神様だったのか。自然だったのか。あるいは、自分の良心だったのか。本当のところは分かりません。けれど、誰も見ていなくても、自分に恥じない生き方をするという姿勢は、確かにそこにあったように思えます。そして不思議なことに。人を相手にすることを少し手放したとき、僕たちの心は、ほんの少しだけ軽くなることがあります。

自分を勘定に入れない勇気

人間関係で疲れてしまう理由。その多くは、

「自分が傷ついた」

「自分ばかり損をしている」

という思いに、心が囚われてしまうことにあるのかもしれません。

「これだけしてあげたのに」

「なぜ分かってくれないのか」

「どうして自分だけ、こんな目に遭うのか」

もちろん、それは自然な感情です。誰だって、傷つけば苦しい。認められなければ悲しい。西郷隆盛もまた、きっとそうだったでしょう。けれど、孤独な牢の中で彼は、少しずつ、自分中心の物差しを手放していったように見えるのです。西郷が大切にしたのは、

「自分が得をするか」

ではなく、

「自分が誠実でいられたか」

という問いでした。『南洲翁遺訓』には、

「己を尽くし、人を咎めず」

という言葉があります。相手を責める前に、まず、自分にできることを尽くしたかを問う。これは、自分を責め続ける生き方ではありません。まして、

「我慢しなさい」

という話でもない。そうではなく、他人の反応に、自分の人生を支配させないという強さなのだと思うのです。西郷が辿り着いた無私とは、自分を犠牲にすることではなく、損得を少し脇に置いて、大きな視点に立つことだったのかもしれません。もし今、あなたが誰かへの怒りや悲しみで心がいっぱいなら、一度だけ、その人のことを横に置いて、空を見上げてみてください。そして、静かに問いかけてみるのです。

「自分は、自分に恥じない生き方ができているだろうか」

答えは、すぐに出なくてもいい。でも、その問いはきっと、重く絡まった心を、少しずつほどいてくれるはずです。

第二章:裏切りを超えて、誠を尽くし切る

親友との決別という痛み

人間関係で本当に苦しいのは、どうでもいい人との衝突ではありません。むしろ、信じていた人とのすれ違いほど苦しいものはないでしょう。西郷隆盛の人生にも、そんな痛みがありました。それが、大久保利通(おおくぼ としみち)との関係です。二人は同じ薩摩(現在の鹿児島県)に生まれ、若い頃から志を共にした仲でした。いわば幼馴染です。幕末という激動の時代に命を懸けながら、新しい日本を創ろうと奔走した同志。互いを深く理解し合っていた時期も、確かにあったのでしょう。けれど、人は、同じ理想を見ていても、同じ道を選ぶとは限りません。明治維新後、西郷と大久保は、国家のあり方をめぐって、少しずつ距離を広げていきます。

そして、ついには決定的な対立へ。西郷は鹿児島へ戻り、やがて西南戦争の中心人物となります。一方で、大久保は新政府側の中心として、西郷と向き合う立場にいました。かつて共に未来を語った友が、今は敵の側にいる。それは、どれほど苦しかったでしょう。僕たちも、信じていた人と分かり合えなくなる痛みを知っています。仕事仲間。親友。家族。大切だったからこそ、傷が深くなる。西郷もまた、そんな苦しみを抱えた一人だったのかもしれません。

けれど、西郷は、大久保を激しく罵(ののし)る言葉を、ほとんど残していません。もちろん、悲しみはあったでしょう。怒りも、失望も、あったかもしれない。それでも彼は、人を責め続ける生き方を選ばなかったように見えるのです。では、なぜ信じた相手との決別を前にしても、西郷は、あれほど大きくいられたのでしょうか。

誠の力は、岩をも通す

西郷さんが信じていたのは、「誠」の一字でした。
『南洲翁遺訓』第1箇条にはこうあります。

 

「道(人間として正しい生き方)は天地自然の物にして、人はこれを行ふものなれば、天を敬ふを目的とす」

 

少し難しい言葉ですが、僕なりに受け取るなら、

「人として正しいと思う道を、ただ誠実に歩みなさい」

という教えのようにも感じます。西郷は、たとえ相手がどうであっても、自分がどう生きるかを大切にした人でした。親友との対立も。人からの批判も。裏切りのように感じる出来事も。きっと彼にとっては、自分の誠を試される時間だったのかもしれません。もちろん、西郷も人間です。苦しくなかったはずはありません。悲しくなかったはずもない。けれど、それでも彼は、人を責め続ける人生よりも、自分の誠を守る人生を選んだように見えるのです。

もし今、あなたが誰かとの関係に傷ついているなら、裏切られたように感じているなら、無理に許さなくていい。忘れなくてもいい。ただ、一つだけ、相手の不誠実さによって、あなた自身の誠実さまで壊されないでほしいと、西郷なら言うかもしれません。人は、相手を変えられないことがあります。けれど、最後まで、自分に恥じない生き方をしたという事実だけは、誰にも奪えません。それはきっと、人間関係に疲れたあなたを、静かに支えてくれる力になるはずです。

敵さえも虜にする「和」の心

西郷さんのすごさは、敵さえも味方に変えてしまうところにあります。
戊辰戦争(ぼしんせんそう)の際、庄内藩(しょうないはん:今の山形県の一部)は最後まで新政府軍に激しく抵抗しました。本来なら、厳しい処分が下されるはずです。
しかし、戦後処理を任された西郷さんは、驚くほど寛大な態度で彼らに接しました。

略奪を禁じ、敗れた者たちのプライドを傷つけないよう配慮し、勝者として振る舞うのではなく、同じ時代を生きた人として接する。その姿勢に感激した庄内藩の人々は、後に西郷さんの教えをまとめた『南洲翁遺訓』を出版することになります。敵だった人たちが、この人の生き方を後世に伝えたいと思ったのです。

西郷の「和」とは、単なるいい人になることではありません。相手に迎合(げいごう:無理に合わせること)することでもありません。むしろ、自分の信念を持ちながら、相手の痛みも見失わないことだったのではないでしょうか。強さと優しさ。厳しさと慈しみ。その両方を持てる人は、実は少ない。西郷は、その難しい道を生きようとした人だったのかもしれません。もし今、あなたに苦手な人がいるなら。無理に好きになる必要はありません。分かり合えなくてもいい。ただ、一つだけ。相手にもまた、その人なりの苦しさがあるのかもしれないと、少しだけ想像してみる。それだけで、人間関係の景色が、少し変わることがあります。

 

 

第三章:涙のあとに残る、本物の「慈悲」

欲に振り回されない人の強さ

西郷さんの言葉で、僕が一番好きなものがあります。

 

「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末(しまつ:扱いに困ること)に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難(かんなん:困難で苦しいこと)を共にして、国家の大業は成し遂げられぬものなり」

 

少し乱暴に言えば、

「失うものがない人は強い」

ということなのかもしれません。

人は、何かを守ろうとすると弱くなることがあります。嫌われたくない。認められたい。悪く思われたくない。損をしたくない。僕たちが人間関係で疲れてしまう理由の一つも、実はそこにあるのかもしれません。もちろん、認められたいと思うのは悪いことではありません。誰だって、人に分かってほしい。大切にされたい。それは自然な願いです。けれど、西郷が教えてくれるのは、その願いに支配されない強さなのだと思います。誰かにどう思われるか。評価されるか。そんなことより、自分が、自分に恥じないかを大切にする。そのとき、人は少しだけ自由になれる。僕はそんなふうに感じています。

そして、西郷には、もう一つ不思議な魅力がありました。それは、目の前の人に、本気で向き合うことです。「一期一会(いちごいちえ)」という言葉があります。一生に一度かもしれない出会い。西郷もまた、人と向き合う時、どこかそんな覚悟を持っていた人のように見えます。肩書きではなく。立場でもなく。ただ、一人の人間として向き合う。だからこそ、多くの人が、

「この人のためなら命を懸けたい」

と思ったのかもしれません。人の心を動かすものは、結局、

「本気で向き合ってくれた」

という記憶なのかもしれませんね。

不完全なものへの愛

西郷隆盛は、決して完璧な偉人ではありませんでした。体格は大きく、甘いもの好き。時には大胆すぎる判断をし、失敗もありました。政治的にも、賛否の分かれる人物です。もし今の時代なら、きっとSNSでは、いろいろ言われていたかもしれません。けれど、そんな西郷を、多くの人が慕いました。なぜでしょう。

僕は、人の弱さを責めなかったからではないかと思うのです。西郷の周りには、失敗した人もいました。道を外した人もいた。それでも彼は、人を切り捨てるより、どうすれば立ち直れるかを考えた人だったように見えます。ルールも大切。けれど、それ以上に、人の気持ちを重んじた。それが西郷の大きさだったのかもしれません。そして、これは僕たち自身にも言えることです。人間関係に疲れる時。自分の欠点ばかり見えてしまう時。

「ああ、自分はダメだな」

と思ってしまう夜があります。でも、本当にそうでしょうか。人は、未熟です。弱いです。間違えます。だからこそ、人を思いやれる。だからこそ、優しくなれる。日本には昔から、桜の散り際や、欠けた月に美しさを見出す感性があります。完璧ではないものの中に、かえって深い美しさを見る心。もし今、あなたが自分の弱さに苦しんでいるなら。西郷ならきっと、

「そんな自分も含めて、生きればよか」

と、静かに笑うのかもしれません。

 

 

見返りを求めない「先回り」の愛

西郷隆盛という人の魅力は、大きな政治や戦だけではありません。むしろ、名もない人への優しさにあったのかもしれません。西郷には、困っている人を見ると放っておけないところがあったと言われています。貧しい人がいれば、自分のものを分け与える。立場の弱い人がいれば、そっと力を貸す。それを、いいことをした、と誇ることもなかった。ただ、そうしたかったから、そうした、そんな自然さがあったように見えます。西郷が慕われた理由も、そこにあるのかもしれません。偉そうに教えるのではなく、誰かの困りごとを、先に察して動く。相手が必要としているものを、言われる前に差し出す。それは、支配ではなく、思いやりでした。

人間関係に疲れている時ほど、僕たちは、自分ばかり我慢していると思ってしまう。もちろん、無理をする必要はありません。自分を削ってまで尽くす必要もない。けれど、ほんの少しだけ誰かが少し楽になることをしてみると、不思議と、自分の心も軽くなることがあります。西郷はきっと、人のために生きろというより、

「目の前の人(身近な人)を、大切にしてみればよか」

と言う人だったような気がします。誰かのために灯した小さな明かりは、案外、自分自身の足元も照らしてくれる。人との関わりに疲れた時ほど、そのことを思い出してみてもいいのかもしれません。

第四章:【結び】今、この瞬間を生きるあなたへ

人を相手にせず、天を相手にせよ

ここまで読んでくれたあなたに、最後に伝えたいことがあります。西郷隆盛という人は、決して強い人だったから、人を愛せたのではありません。むしろ、誰よりも深く傷つき、裏切られ、孤独を味わった人でした。島流し。親友との決別。理想と現実の狭間。そして最後には、自らが育てようとした国と戦うという、あまりにも過酷な運命。それでも、西郷さんは、人を恨むことを選ばなかった。なぜなら、彼が最後に向き合っていたのは、人ではなく、「天」だったからです。『南洲翁遺訓』にある、あまりにも有名な言葉。

「人を相手にせず、天を相手にせよ」
――誰が分かってくれなくてもいい。誰が裏切ってもいい。自分だけは、自分の「誠」を裏切らない。

その静かな覚悟が、あれほど多くの人の心を惹きつけたのでしょう。人間関係に疲れる時。僕たちは、つい相手を変えようとしてしまいます。

「あの人が悪い」
「どうして分かってくれない」

でも、

西郷さんは、そんな僕たちに、大きな背中で語りかけている気がします。

「そんなに肩の力を入れんでよか」
「まずは、自分の誠を尽くしてみなさい」

と。無理に強くならなくていい。すぐ許せなくてもいい。ただ、今日という日に、自分の魂に恥じない生き方を、ほんの少しだけ意識してみる。誰かに優しい言葉をかける。見返りを求めずに、小さな親切をしてみる。空を見上げて、深呼吸をしてみる。その小さな積み重ねが、いつか、あなた自身の心を救ってくれる。西郷さんの言う「敬天愛人」とは、立派になることではなく、傷つきながらも、それでも人を愛そうとする勇気なのかもしれません。

あなたは、一人じゃありません。疲れた時は、少し立ち止まっていい。天は、ちゃんと見ています。そして、あなたが誠を尽くして生きる時、世界はきっと、少しずつ優しく変わり始めます。

 

 

 

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