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自信が持てないあなたへ。良寛さんが「大バカ者」として生きることで見つけた、魂を救う「日本の美徳」

満開の桜と青い海を背景に、穏やかな微笑みを浮かべて座る良寛和尚のイラスト 日本の悩み
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自信が持てないと、

「自分には、何の価値もないんじゃないか」

そう思って、動けなくなってしまう夜はありませんか?周りの人はみんなキラキラして見えて、仕事もプライベートも器用にこなしているように見える。それに比べて自分は、人より不器用で、失敗ばかりで、胸を張って言えるような特技もない。SNSを開けば、誰かの成功報告が目に入り、気づけば、「もっと頑張らなきゃ」「もっと強くならなきゃ」と、自分を追い立ててしまう。
でも、もし、そんなふうに苦しむあなたに、

「そのままでよい」

と、静かに微笑んでくれる人がいるとしたら。
今からお話しするのは、江戸時代、雪深い越後(えちご:今の新潟県)の地で、「自分はバカでいい、何の役にも立たなくていい」と笑いながら生きた、一人のお坊さんのお話です。
名声も求めない。立派に見られることにも興味がない。子どもたちと遊び、野山を歩き、ときには人に笑われながらも、どこまでも自然体に生きた人。

その人の名は、良寛(りょうかん)。

彼は、自信をつける方法を説く人ではありませんでした。むしろ、自信がなくても、そのまま生きていい、ということを、自分の生き方そのもので示した人だったように思えます。彼が遺した手紙や詩、そして彼を愛した人々が記録した『良寛禅師奇話』や『蓮の露(はちすのつゆ)』という一次資料を紐解きながら、僕と一緒に、あなたの魂を迎えに行く旅に出かけましょう。読み終わる頃、あなたはきっと、自分のことが愛おしくてたまらなくなっているはずです。

 

第一章:「大愚(だいぐ)」という名の、究極の自己肯定

エリートの椅子を蹴り飛ばした男

良寛さんは、1758年に越後の名主(なぬし:村のリーダー)の長男として生まれました。今で言えば、将来を約束された跡取り息子です。
学問もでき、教養もあり、そのまま家を継ぎ、地域を支える存在になる。多くの人が、そう思っていたことでしょう。ですが、18歳の時に突然、すべてを捨てて出家(しゅっけ:家を出てお坊さんになること)してしまいます。安定した未来も。家の期待も。立派な人生というレールも捨てて、です。

なぜ、そんな選択をしたのでしょうか。本当の理由は、本人にしか分かりません。けれど、良寛が若い頃から、世俗(せぞく:世間の価値観)への違和感を抱えていたことは、様々な逸話から感じられます。人を評価すること。立派に見せること。競い合うこと。成功と呼ばれるものを追いかけること。そうした価値観の中に、良寛は、どこか馴染めなさを感じていたのかもしれません。もちろん、逃げたと見る人もいるでしょう。でも僕は、少し違う気がしています。良寛は、自分に嘘をつかない道を選んだ人だったのではないでしょうか。世間から見れば遠回り。不器用。もったいない人生。そう見えたとしても、自分が、本当に納得できる生き方は何かを問い続けた。だからこそ、200年以上経った今も、僕たちは良寛という人に惹かれるのかもしれません。

もし今、あなたが、自分だけ社会に馴染めないと苦しんでいるなら。少しだけ、思い出してみてください。世の中に合わせられないことと、価値がないことは、決して同じではありません。きっとそれは、あなたの心の奥底にゆるがない価値観のきらめきが眠っている証拠。もしかすると、その眠りを醒ます為の、あなたに合う生き方が、まだ見つかっていないだけなのかもしれません。

「偉い人」になるのをやめた瞬間

修行を終えた良寛さんは、高い位も立派なお寺も断り、越後の国に帰ってきました。そして、山の中にある「五合庵(ごごうあん)」という、崩れかけた小さな草庵(そうあん:わらぶきの小屋)で一人静かに暮らし始めます。

彼は自分を「良寛」ではなく、「大愚(だいぐ:救いようのない大バカ者)」と呼びました。
もちろん、本当に自分を嫌っていたわけではないでしょう。むしろ賢く見られなくてもいいという、軽やかさだったのかもしれません。人より優れていたい。認められたい。立派だと思われたい。僕たちは、気づかないうちに、そんな重たい荷物を背負っています。だからこそ自信が持てないのかもしれません。もっとちゃんとしなきゃ、もっと価値がある人間にならなきゃ、と自分を追い込んでしまう。でも良寛は、そんな競争から、静かに降りました。何者かになろうとするのをやめた。そして、何者でもない自分を受け入れていった。不器用でもいい。弱くてもいい。うまくできなくてもいい。そのままで、生きればいい。良寛の強さは、何でもできること、ではなく、できない自分を責めなかったことにあったのかもしれません。

手まりと子供、そして「今ここ」

良寛の毎日は、今の時代で言うところの生産性とは、ほとんど無縁でした。出世もしない。お金も稼がない。大きな成果を残そうともしていない。托鉢(たくはつ:鉢を持って食べ物を恵んでもらう修行)に出かけても、途中で子どもたちに出会えば、そのまま一緒に遊び始めてしまう。手まり。かくれんぼ。鬼ごっこ。そして気づけば、日が暮れていた――。そんな逸話が、いくつも残っています。大人から見れば、「何をしているんだ、この人は」と思われたかもしれません。でも、子どもたちは良寛が大好きでした。それはきっと、良寛が本気で一緒に遊んだからなのでしょう。

大人は、つい考えてしまいます。この時間に意味はあるか。役に立つか。未来につながるか。損していないか。でも、良寛は違いました。彼は「今、この瞬間」を、とても大切にしていた人だったように思えます。

良寛の詩には、ただ数字を数えるだけのような、素朴な言葉もあります。けれど、その中には、生きることを急がなくていいという静かな安心感が流れているように感じます。自信が持てない時。僕たちは、まだ来ていない未来を怖れ、もう終わった過去を責めてしまいます。

「あの時こうしていれば」

「この先どうなるんだろう」

と。

でも、もし少しだけ今日を生きることに戻れたら。温かいお茶を飲む。空を見る。季節の風を感じる。誰かと笑う。そんな何気ない時間の中に、実は、心を回復させる力があるのかもしれません。良寛は、何かを成し遂げた人というより、生きること、そのものを味わった人だったように、僕には思えるのです。

 

 

第二章:言葉を超えた「誠(まこと)」の教え

三つの「嫌いなもの」

良寛は、とても不思議なお坊さんでした。偉そうに教えない。人を論破しない。そして、お説教をほとんどしなかったと言われています。そんな良寛に、有名な逸話があります。『良寛禅師奇話』には良寛が嫌いなものとして、こんな言葉が残されています。

「詩人の詩、書家の書、僧の説法」

え?お坊さんなのに僧の説法が嫌い?と思いますよね。でも、ここに良寛らしさがあります。これは、詩人が作った詩そのものが嫌い、書家の書く字そのものが嫌い、僧の説く説法そのものが嫌い、という意味では、たぶんありません。むしろ、上手に作ろうとするその心、立派に見せようとするその心をヨシとされなかったのではないでしょうか。立派な言葉。難しい知識。綺麗に整えられた教え。それよりも良寛は、その人が、どう生きているかを大切にした人のように見えます。
立派な人であるならば、筋の通らないことだらけの、この世のなかをどうにかできるはずなのに、それをしない。しないのにあの人は立派な言葉だけを吐く。自分はこの世の中をどうにかなど、できない。自分は立派ではないのだろう。自分は立派ではないとわかっているからこそ、難しい知識を「知っているだけ」では何の意味もないことに気づく。そうやって自分自身で気づいていくことにこそ意味があるのに、問われもしないのに「教え」たところで、そこにあるのは立派に見られたいという心しかない。でも、自分が立派にならないと、よりよくはなってはいかないし、どうすれば・・・こうして突き詰めて考えていくうちに、立派ではないけれども、不完全だけど、前向きに楽しく裸の心で生きていく、その大切さに良寛さんは気付いていったのでは、と僕は勝手ながら感じています。その心を体現してるのが子供たちなのだ、と。だから良寛さんは子供たちのことが大好きだったのではないでしょうか。

そうして子供たちを師匠のごとく見習いながら、一緒に遊び裸の心で生き始めた良寛さん。だからこそ、多くを語らなくても、人が集まった。教え込まなくても、人の心がほどけていった。良寛自身がこう生きればいい、という答えになっていたのでしょう。自信が持てない時、僕たちは、もっと知識をつけなきゃ、もっとすごくならなきゃ、と思ってしまいます。でも、良寛はきっと、少し笑いながら、こう言う気がするのです。

「そんなに立派にならんでもよいよ」

大事なのは、何を知っているかより、どう生きているかなのかもしれません。

甥(おい)を更生させた一筋の涙

良寛さんには、放蕩(ほうとう:酒や遊びに溺れて、やるべきことをしないこと)に明け暮れ、家を潰しかけていた甥の馬之助(うまのすけ)がいました。親族たちは困り果て、良寛さんに「どうか、厳しく説教してやってください」と頼み込みました。

良寛さんは馬之助の家を訪ねます。でも、一日経っても、二日経っても、良寛さんはニコニコしているだけで、一言もお説教をしません。馬之助は、いつ怒られるのか、とビクビクしていましたが、三日目の朝、良寛さんは突然「帰る」と言い出しました。

馬之助が草鞋(わらじ)を履かせてあげようと、良寛さんの足元にしゃがんだ、その時です。
馬之助の首筋に、ポタリ、ポタリと、温かな雫(しずく)が落ちました。
見上げると、良寛さんが静かに涙を流していたのです。良寛さんは、一言だけ言いました。

「ああ、馬之助。お前に草鞋を履かせてもらうのも、これが最後かもしれんな……」

これだけです。長い説教もない。怒鳴り声もない。「ちゃんとしろ」という言葉さえない。けれど、馬之助の心には、何かが深く届いたのでしょう。後に彼は生活を改め、立ち直っていったと伝えられています。良寛さんは、人を変えようとはしませんでした。ただ相手を、見捨てなかった。責める代わりに、悲しみを見せた。言葉ではなく、その人を想う気持ちそのものが伝わった。だからこそ、馬之助の心は動いたのかもしれません。自信をなくしている時。失敗してしまった時。人は正論よりも、

「それでも大丈夫だよ」

という眼差しに救われることがあります。良寛は、そのことを誰よりも知っていた人なのかもしれません。

 

 

同じ不完全だからこそ、心は通い合う

良寛の馬之助への態度を見ていると、一つ、心に残ることがあります。それは、相手を変えようとしなかったということです。責めない。正論をぶつけない。無理に正そうとしない。ただ、その人の苦しさを自分のことのように見つめる。そんな静かな優しさが、良寛にはあったのかもしれません。そして、それはきっと、良寛自身もまた不完全な人間だったからなのでしょう。

良寛は自分を「大愚」――大きな愚か者、と呼びました。完璧な聖人ではなく、迷いも弱さも抱えた一人の人間。だからこそ、人の弱さにも寄り添えたのかもしれません。自信が持てない時、僕たちは、自分にとても厳しくなります。「もっとちゃんとしなきゃ」「弱音なんて吐いちゃいけない」「自分はまだ足りない」と。でも、もし今、そんなふうに自分を責めているなら、少しだけ良寛のように、できない自分にも、居場所をあげることをしてみてもいいのかもしれません。

そして、もし誰かとの関係に悩んでいるなら、言葉で変えようとする前に、ただ、「この人も苦しいのかもしれない」と想像してみる。人は時に、正しさではなく分かろうとしてくれる気持ちに救われることがあります。良寛の涙が教えてくれるのは、そんな、静かな思いやりの力なのかもしれません。

第三章:泥棒に「月」を与える豊かさ

布団を盗みに来た泥棒への贈り物

良寛さんの住んでいた五合庵は、鍵もかかっていないボロボロの小屋でした。
ある夜、泥棒が忍び込み、良寛さんが寝ている唯一の布団を盗もうとしました。
良寛さんは、実は起きていました。でも、彼は泥棒が困らないように、寝返りを打つふりをして、そっと布団を譲ったのです。泥棒が布団を担いで逃げていった後、冷たい床の上で丸まりながら、良寛さんは空を見上げ、こう詩を詠みました。

 

「盗人(ぬすびと)に 取り残されし 窓の月」
(泥棒さんは布団を持っていったけれど、窓から見えるこの美しい月までは、持っていけなかったなあ)

 

どうですか? この心の広さw当然、泥棒にならざるを得ないひとが多かった時代背景があるので、現代人が良寛さんと同じ行為をしても、心が広いなんて言ってる場合ではないですがw

「自分は何も持っていない」からこそ、世界中のすべてが自分のものだという豊かさ。自信がない時、僕たちは失うことを恐れます。地位、お金、名誉。でも良寛さんは、最初から何も持たない「無一物(むいちもつ)」の精神で生きていたので、何も失うことがありませんでした。

竹のこころ、人のこころ

もう一つ、良寛には、その人柄がよく伝わる、少しおかしくて、でも温かい逸話があります。
ある時、良寛さんの小屋の床下から、竹の子が生えてきました。竹の子はぐんぐん伸び、そのままでは床を突き破ってしまいます。普通の人なら、竹の子を切り取って食べるか、抜いてしまうでしょう。でも、良寛さんは違いました。

「おお、お前も外へ出たいのか」

そう言って、竹の子のために良寛は、床板を切り取り伸びられるようにしてあげた――そんな話が残っています。

良寛は、役に立つか、邪魔かどうか、で命を見なかった。小さな竹の子にも、その竹なりの命がある、その竹なりの生きたい方向がある、そう感じていたのかもしれません。そして、これは僕たち自身にも言える気がするのです。自信がない時、人は自分には価値がないと思ってしまう。誰かより劣っている。役に立てていない。何者にもなれていない、と。でも、本当にそうでしょうか。竹の子が、何かの役に立つから価値があるわけではないように。人もまた、存在していることそのものに、意味があるのかもしれません。誰かに認められる前に。成果を出す前に。あなたはすでに、この世界に、いていい存在なのだと。良寛の竹の子の話は、そんなことを、静かに教えてくれている気がするのです。

 

 

見返りを求めない、小さな優しさ

良寛には、また、こんな逸話が残っています。村の人が困っていると、頼まれてもいないのに、そっと手を貸していたという話です。たとえば、腰を痛めた老人がいれば、誰にも気づかれないように、朝早く田仕事を手伝っていた――そんな話が伝わっています。しかも良寛は「ありがとう」という感謝の言葉を求めませんでした。むしろ、誰がやったか分からないくらいが、ちょうど良かったのかもしれません。普通なら、少しくらい認められたくなる。感謝されたくなる。でも良寛は良いことをした自分にも、あまり執着しなかったように見えます。

ただ、目の前に困っている人がいた。だから動いた。それだけ。そんな自然さがあります。そして、これは、自信が持てない時ほど、思い出してもいいことかもしれません。自分に価値があるか分からない時。役に立てていない気がする時。ほんの少しだけ、誰かが少し楽になることをしてみる。大きなことでなくていい。落ちているゴミを一つ拾う。疲れている人に、「大丈夫?」と声をかける。コンビニの店員さんに、少しだけ優しくする。そんな小さなことでもいい。不思議なもので、誰かを少し温かくすると、自分の心も少しだけ温かくなることがあります。良寛はきっと、

「立派な人にならなくてもいい。ただ、優しくあれ」

と、静かに笑う人だったのかもしれません。

第四章:老いと孤独、そして「蓮の露(はちすのつゆ)」

晩年に訪れた、魂の出会い

良寛さんは、70歳を過ぎてから、一人の女性と出会います。
貞心尼(ていしんに)という、40歳も年下の尼僧(にそう:女性のお坊さん)でした。

彼女は、良寛の人柄に深く惹かれ、たびたび訪ねるようになります。二人は、歌を交わし、言葉を交わし、静かな交流を続けました。後に、そのやり取りは『蓮の露(はちすのつゆ)』として残されます。二人の関係を、恋だったと言う人もいます。深い友情だったと言う人もいます。あるいは、もっと言葉にできない魂の響き合いだったのかもしれません。本当のことは、もう分かりません。でも、一つだけ確かなことがあります。良寛の人生の終わりに心を通わせる相手がいたということです。これは、自信が持てない人にとって、どこか救いになる話かもしれません。

僕たちは時々、もう遅い、自分なんて愛されないと思ってしまいます。でも、人との出会いに、遅すぎるということは、案外ないのかもしれません。良寛と貞心尼は、若さでも、肩書きでも、成功でもなく、ありのままで向き合えた関係だったように見えます。飾らない。無理をしない。それでも心が通う。そんな関係が、人生の終わり近くに訪れることもある。そう思うと、少しだけ未来が優しく感じられませんか。

 

 

裏を見せ 表を見せて 散るもみじ

良寛の人生を象徴するような、とても有名な句があります。

「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」

晩年、貞心尼との交流の中でも語られる、良寛を代表する言葉です。もみじは散る時、裏も表も見せながら、風に身を任せて落ちていきます。飾らない。隠さない。ただ、あるがまま。この句には良寛の生き方そのものが重なって見えます。立派に見せようとしない。賢く見せようとしない。弱さも。迷いも。不器用さも。全部抱えたまま、生きる。そして、そんな自分でもよいと、どこか微笑んでいる。良寛は、完璧な聖人ではありませんでした。迷いもあったでしょう。孤独もあったでしょう。それでも、自分を偽ろうとはしなかった。だからこそ、あれほど多くの人の心を、静かに温めたのかもしれません。

僕は思うのです。自信とは自分を大きく見せることではないのかもしれない、と。むしろ、ダメな自分も知った上で、それでも生きていくこと、なのではないでしょうか。強くなくてもいい。完璧じゃなくていい。裏も表もあるままでいい。もみじのように、少し不器用に、でも自分らしく生きる。それが、良寛が僕たちに残してくれた、優しい答えのように思えるのです。

死を超えて残る、静かな余韻

1831年、良寛さんは74歳で、貞心尼に見守られながら静かにこの世を去りました。
良寛が遺したものは、決して多くありませんでした。立派なお寺もない。財産もない。権威もない。けれど、彼が去ったあとも、人々の心には、言葉では説明できない温かさが残りました。なぜでしょう。きっと良寛は、人を裁かなかったからです。「ちゃんとしなさい」と追い立てるのではなく、弱さも。迷いも。不器用さも。そのまま抱きしめるような人だった。だから、200年近く経った今でも、疲れた心が、ふと良寛を思い出すのかもしれません。

僕は時々、こんなふうに想像します。もし今、自分には価値がないと落ち込んでいる人が、良寛の前に座ったなら。きっと彼は、難しい説法なんてしない。ただ、少し笑って、「そのままで、ええがな」とでも言うのではないでしょうか。

自信がなくてもいい。不完全でもいい。人と比べてしまってもいい。裏も表もある、そのままのあなたでいい。良寛の人生は、そんな静かな安心を、今を生きる僕たちに残してくれている気がするのです。

第五章:【結び】――「大愚」として生きる勇気を

ここまで読んでくださったあなたへ。もし今、

「自分には価値がない」
「もっとちゃんとしなきゃ」

そんなふうに、自信のなさに苦しんでいるなら、最後に、良寛さんが生き方そのもので教えてくれたことを、そっと手渡したいと思います。僕たちはつい、外側に答えを探してしまいます。もっと能力があれば。もっと認められれば。もっと魅力的だったら。そうすれば、自信が持てるのだと。でも、良寛さんの人生は、まるで違う景色を見せてくれます。立派なお寺もない。肩書きもない。財産もない。世間から見れば、決して成功者ではなかったかもしれない。それでも良寛さんは、山の小さな庵で、子どもたちと遊び、月を眺め、季節の移ろいを愛でながら、「幸せだなあ」と生きていました。そこには、「足りないもの」ではなく、「すでにあるもの」を見つめる眼差しがあります。仏教には、

「知足(ちそく)」
――足るを知る、

という言葉があります。もちろん、不安が消えるわけではありません。寂しさもある。失敗する日もある。「もっとこうなりたい」と思うこともある。でも、ほんの少し立ち止まって、今日という日を見つめてみる。ご飯が食べられること。笑えること。泣けること。誰かを好きになれること。今日まで生きてこられたこと。その小さなものの中に、人生の静かな豊かさは、もうあるのかもしれません。そして、もう一つ。良寛さんは、人にも、そして自分にも、きっと優しい人だったのだと思います。自信がない時、僕たちは、誰よりも厳しく自分を責めています。

「なんで自分はダメなんだ」
「また失敗した」
「もっとちゃんとしなきゃ」

と。でも、今日だけは、少しだけ言葉を変えてみませんか。

「不器用だけど、よくやってる」
「失敗したけど、またやり直せばいい」
「こんな自分でも、まあいいか」

と。良寛さんは、最後まで、どこか子どものような人でした。子どもたちと遊び、月を見て笑い、竹の子にまで話しかける。立派に見られようとはしない。そして自らを、

「大愚(だいぐ)」
――大きな愚か者、

と呼びました。でも僕は、そんな良寛さんこそ、本当は誰よりも自由だったのだと思います。だから、急に強くならなくていい。完璧にならなくていい。弱くていい。迷っていい。泣いてもいい。裏も表もあるまま、それでも生きていく。もみじのように。静かに、自分らしく。ふと空を見上げて、「月が綺麗だな」そう思えたなら。その瞬間、あなたももう、良寛さんが見ていた世界に、そっと触れているのかもしれません。今日くらいは、少し肩の力を抜いて、子どものように笑ってみませんか。

 

 

 


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