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幕末、大阪の富女の逸話|巾着を差し出し、白刃の下に身を横たえた七歳

幕末、大阪の富女の逸話を象徴するイラスト 日本の逸話
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大坂の松屋町(まつやまち:現在の大阪市中央区松屋町)での出来事です。

そこに、小さな紙屋がありました。

主が亡くなり、あとには四人の子が残されます。

長男の仁三郎(にさぶろう)が十四歳。次が富女(とみじょ)で七歳。次の吉蔵(きちぞう)が四歳。末はまだ二歳の男の子でした。

――そして翌年の秋のことです。

夜更けのこの紙屋に、三人の賊が押し入りました。

  

※注:この記事は、国立国会図書館で公開されている明治の『女武士道』(1908年)の記述を土台に新しく書いたものです。『女武士道』は富女の生まれた年も、父の名も記していません。この出来事については、Web検索では『女武士道』以外の記録を見つけることができませんでした。 賊が押し入ったのは、父が亡くなった翌年の秋とされており、そのとき富女は数え八つであったとみられます。富女が炭屋彦兵衛(すみや ひこべえ)の養女となったのは嘉永元年(1848年)七月十九日と記されています。大坂松屋町は現在の大阪市中央区松屋町にあたります。会話は明治の著者が物語風に書いたものです。

 

三尺の秋水

 

夜が更け、人が静まったころです。

三人の凶賊が、突然、表の戸を蹴破って跳び込んできました。

母は、いち早くそれと察します。

いちばん下の幼児を抱いて、裏口から逃げ去りました。

兄の仁三郎も、続いて逃げ出そうとします。

――けれども、賊はすでに近づいていました。

いきなり襟首をつかんで、その場に引き据えます。

「ヤイ小僧、金の所在(ありか)を言へ、言はずば是(こ)れぞ」

ぐっと目の前に突きつけられたのは、明晃々(めいこうこう)たる三尺の秋水(しゅうすい)――鋭く光る刀でした。

兄は、それを見るなりぶるぶると震えます。

「我れは雇人(やとひにん)なり、金の所在(ありか)は存じ申さず」

――わたしは雇われの者です。金のありかなど存じません――。

そう言って、振り放って逃げようとしました。

賊はかっと怒り、刀の峰で背中を二つ三つ打ちます。

兄は泣いて、命乞いをしました。

 

幕末、大阪の富女の逸話を象徴するイラスト

巾着

 

――その物音に、富女がふと目を覚まします。

そして、この様子を見て深く驚きました。

タッ起き上がって、箪笥(たんす)のひきだしから巾着(きんちゃく:布の財布)を取り出します。

 

幕末、大阪の富女の逸話を象徴するイラスト

 

中には、お年玉の金などが入っていました。

親しい人々から贈られたものです。

富女はそれを持って、賊の前へ走り出ました。

「金が欲しくば之れを参(まゐ)らせん、兄をば赦(ゆる)し玉(たま)へ」

――お金が欲しいなら、これを差し上げます。兄は赦してください――。

そして、巾着を賊の前に差し置きます。

賊たちは、目と目を見合わせました。

――富女は、その隙に手早く兄を引き放しました。

そして自分の背後にかばい、自ら身を白刃の下に横たえます。

「ノウ兄は赦し玉へ、其代(そのかは)り、わらはをば殺(ころ)し玉へ」

――ねえ、兄さんは赦してください。その代わり、わたしを殺してください――。

覚悟を定めて、身動きひとつしません。

三人の賊は顔を見合わせて、一言も発しませんでした。

――やがて一人が、感嘆の声を漏らします。

ほかの賊と見合わせて、うなずき合いました。

そして、そのまま表へ走り出て行ったのです。

 

幕末、大阪の富女の逸話を象徴するイラスト

鬼の目にも涙

 

――しばらく経って、この賊たちが捕らえられました。

役人がその罪状を糺(ただ)すと、賊は感嘆しながら語り出します。

「我等多年、悪事を働く内には、随分色々の事にも出逢ひ候ひぬ、されども松屋町の小娘ほど世にも殊勝(しゅしょう)なるは、復(ま)たと候はず」

――わたしどもは長年悪事を働いてまいりましたから、ずいぶんいろいろなことにも出くわしました。けれども松屋町の小娘ほど殊勝な者には、二度と出会ったことがありません――という意味です。

賊は続けます。

何という家かは分かりません。小さな紙屋でした。ある夜、三人で押し入って、小僧を捕まえ、金のありかを尋ねました。すると――

「年は七つか八つにや候はん、小さき娘、巾着(きんちゃく)を持ち来り、身を白刃の下に置きて、兄に代(かは)らんと申し候ふ」

――年は七つか八つでもありましょうか、小さな娘が巾着を持ってきて、自分の身を白刃の下に置いて、兄に代わりたいと申したのです――という意味です。

そのけなげさに――と、賊は言いました。

「張(は)りも抜け、気も挫(くじ)け、其儘(そのまま)表へ飛び出し候(さうら)ひぬ」

――意地も抜け、気持ちも挫けて、そのまま表へ飛び出してしまいました――。

そして、こう締めくくります。

「それより後は夜稼ぎを止めんと思ひ候へども、外に生活の道なきまゝ、今日に及び候ひしが、アノ時の事ばかりは、今に身に浸(し)みて忘れ候はず」

――それから後は夜の稼ぎをやめようと思いましたが、ほかに生きる道がないまま今日に至りました。けれども、あのときのことばかりは、いまも身に沁みて忘れません――という意味です。

鬼の目にも涙。

賊は語り終わって、目をしばたたきました。

――役人はそれを聞いて感嘆し、さっそく人を遣わして取り調べます。

そして、富女を探し当て、厚く賞したのです。

 

幕末、大阪の富女の逸話を象徴するイラスト

炭彦の嬢

 

このことは、町にも伝わりました。

豪商の炭屋彦兵衛(すみや ひこべえ)という人が深く感じ入り、富女を養女にしたいと願い出ます。

嘉永元年(1848年)七月十九日のことでした。

富女はこののち、「炭彦(すみひこ)の嬢」と敬われる身になりました。

『女武士道』の著者は、こう結んでいます。

「至誠の動く処、懦夫(だふ)をして起たしめ、頑夫(がんぷ)をして廉(れん)ならしむ、富女の如き即ち是れなり」

――まことの心が動くところでは、臆病な者も奮い立ち、頑(かたく)なな者も欲を慎むようになる、富女はまさにそれだ――という意味です。

 

幕末、大阪の富女の逸話を象徴するイラスト

 

※注:この出来事については、Web検索では『女武士道』以外の記録を見つけることができませんでした。 父が亡くなって四人の子が残されたこと(仁三郎十四歳・富女七歳・吉蔵四歳・末子二歳)、翌年の秋に三人の賊が押し入ったこと、その年の冬に賊が捕らえられて自白したこと、富女が嘉永元年(1848年)七月十九日に豪商・炭屋彦兵衛の養女となったことは、いずれも『女武士道』の記述によります。「炭屋」は大坂の有力な両替商の屋号として記録に見えますが、彦兵衛という人物については確かめられませんでした。

 

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